日本人の神はどこにいるか 〜 一神教=多神教

久々に書き留めておこうと思う本を読んだ。

日本人の神はどこにいるか (ちくま新書)

日本人の神はどこにいるか (ちくま新書)

タイトルずばり日本人の神と言うより、一神教多神教について、純粋な一神教は無いし純粋な多神教も無いというのがテーマ。


カトリックが、聖母信仰や聖人信仰で多神教的要素があるというのはよく見かけることだが、純粋な一神教と思っていたイスラムも聖者というのがあり、聖者に願い事をするというのがあるそうだ。もちろん、原理主義者はそれらを認めないが。


一方の日本において、様々な神・仏がいて、多神教に思える。しかし、具体的な現世利益を望んで神様を選んで参拝するときを除けば、多くのいやほとんどの日本人は、その神社の祭神が何であるのか、その寺院の本尊が何であるのか、意識しないで参拝しているというのは当たっている。初詣で明治神宮に集まる人に、「他のどの神でも無く明治天皇に参拝したいのか?」と問えばそうだと答える人は少ないだろうし、奈良の大仏に参拝する人が、みんな毘盧遮那仏とはいったいどういう仏様なのか理解しているとも思えない。

これは最近のことでも無いのだろう。伊勢神宮に参拝した西行法師の有名な言葉「何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」がある。もちろん、彼は伊勢神宮の祭神を知っていたはずだが、その上で「何事のおはしますかは知らねども」と言ったはず。

この、具体的な○○神でなく、抽象化された漠然とした神仏への信仰・畏れが、一神教における唯一神信仰に通じるのでは無いかというのがこの本のポイント。